安倍元首相の国葬日程が決まりましたね。
実施是非の可否については触れませんが、いろんなことを踏まえると「あーやっぱそうなったか」という感じです。
いろいろ思うところがあるでしょうが、今回は私自身の話をします。
9月27日は私の誕生日です。私にとってはハレの日です。
リアルの場やSNSで祝言のやり取りを交わしたり奮発してちょっとしたごちそうを食べたりする日です。
誕生日を迎えるたびに「もうすぐ30じゃん」と言われては己の幼さを呪ったり20歳のころから印象が変わらない(要は若く見られる)ことに心の中でガッツポーズしたりすることが日常生活のちょっとした幸せな瞬間だったりします。
ところが今年の9月27日は色合いがかなり違いますよね。
何しろ国葬ですからね。安易に喜べなくなったのが正直なところです。
この現象、東日本大震災でもありました。
ある宝塚OGが言っていました。
「実は3月11日が誕生日なんだけど…この日にあんなことが起こって、素直に祝うことができなくなった」
月日というのは毎日のどこかが誰かの誕生日であり、誰かの命日でもあるんです。人によっては「誕生日に死んだ」人もいます。
悲しいことが起ころうが葬儀の日だろうが「月日」という概念がある以上、避けては通れない強制事項なんです。
自粛警察が横行している今、自分の誕生日を素直に喜べなくなってきています。
ですが、今を生きている瞬間を感謝することは不謹慎でも何でもありません。
世間的には一番暗い日になるかと思いますが、行き過ぎた自粛はせずに今年も例年通りの誕生日を過ごしていきたい…そう考えています。